【世界遺産登録!】 西洋式の大砲鋳造を目指して建設された金属溶解炉
反射炉は、西洋で開発された金属溶解炉です。江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために、鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みました。
安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れますが、拒絶され、反射炉のスケッチのみを許されます。このスケッチをもとに萩反射炉を建設しました。
現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。オランダの原書によると、反射炉の高さは16mですから、約7割程度の規模のものになります。
また、萩藩の記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に試験的に操業され金属の溶解実験が行われたということだけであることから、萩反射炉は試作的に築造されたと考えられています。西洋の科学技術への試行錯誤を象徴している遺構です。
反射炉の遺構は、萩のほか韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)にあるだけで、わが国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡です。
【国指定史跡】
当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていました。
鉄を溶かす溶解室の天井が浅いドーム状になっており、そこに熱を反射させて炉内の温度を千数百度の高温にして鉄を溶かしました。そのため、反射炉とよばれました。
基本情報
電話番号 | 0838-25-3380 (萩市世界文化遺産室) |
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住所 | 萩市椿東4897-7 |
営業時間 | 見学自由 |
休日 | なし |
駐車台数 | 無料駐車場有(普通車21台・大型車3台) |
料金 | 無料 |
アクセス | 萩循環まぁーるバス(東回り)「萩反射炉」バス停より徒歩2分 |
備考 | ガイドが常駐しています(9:00~17:00) |
ホームページ | https://www.city.hagi.lg.jp/site/sekaiisan/h6077.html |