石碑「薩長土連合密議之處」

せきひ「さっちょうどれんごうみつぎのところ」

松陰神社敷地内、境内入口左奥の隅にあり、明治百年記念の1968年(昭和43)に建立された石碑。揮毫は故岸信介元首相。
中央に大きく「薩長土連合密議之處」、向って右から「薩州・田上藤七、長州・久坂玄瑞、土州・坂本龍馬」、左側に「文久二年一月、鈴木勘蔵宿之宿」とあります。

久坂玄瑞の日記「江月斎日乗」によると、1862年(文久2)1月14日、土州藩士坂本龍馬が、同藩藩士の武市半平太(瑞山)の書簡を持って久坂玄瑞を訪ねて来萩し、この鈴木勘蔵の旅館に泊まったとあります。
薩州藩士田上藤七も同藩藩士樺山三円の書簡を持って来萩しており、図らずも久坂を中心に、薩長土の三藩が日本の将来を語り合った場所です。
更に久坂の日記によれば、翌日の1月15日、彼らは「他国文武修行者宿」(現在、萩地方裁判所の西向)に移っています。この日、「藁束を斬る」とあるがその場所は定かではありません。その後、龍馬は1月23日に萩を出発していますが、来萩の名目が剣術修行であるため、9日間の滞在中に明倫館の剣槍稽古場(現有備館)で試合をしたのではないかと推測されます。
龍馬が帰る時に、玄瑞は武市瑞山宛の書簡を託しています。それには、藩そのものを否定しても草莽の志士が結合して実践に移ろうというもので、松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)論」と思想的なつながりを持っていました。その後、龍馬は土佐藩の政策に反対し脱藩。そして江戸で勝海舟の門に入ります。
この石碑は、後日の薩長土連合を暗示する前兆の場所として銘記すべき記念碑です。

基本情報

住所 萩市椿東1537(松陰神社敷地内)
営業時間 見学自由
休日 見学自由
駐車台数 普通車/無料(境内約50台・神社前58台)、大型/500円(13台)
アクセス 萩循環まぁーるバス(東回り)「松陰神社前」バス停より徒歩1分

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