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明治期の日本を確立した初代内閣総理大臣・伊藤博文

伊藤博文旧宅

いとうひろぶみきゅうたく

伊藤博文は、天保12年(1841)熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)の農家に生まれました。幼名は利助、のち春輔、そして“博文”と改めました。
この旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。もとは萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。その後、博文が明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家です。

博文は、安政4年(1857)に木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り「なかなか周旋家になりそうな」と吉田松陰の評価を得ました。品川御殿山の英国公使館焼き打ちをはじめ、尊攘運動に参加。文久3年(1863)5月には、長州ファイブの一人として井上聞多(馨)らと英国に密航留学しました。
明治新政府では参与、兵庫県令などを歴任。明治4年(1871)条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪。帰朝後、参議、工部卿などの要職を経て明治18年(1885)初代内閣総理大臣なりました。以後、4度内閣を組閣。日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42年(1909)枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去りました。

旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。また、隣接して東京より移築した伊藤博文別邸があります。

 

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