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北総門の見張り台も兼ねた武器を収納した矢倉

旧益田家物見矢倉

きゅうますだけものみやぐら

高さ1.8mの石塁の上に立つ堅固な単層の建物。武器を収納する倉を矢倉といい、天井が高く見張り台も兼ねたものは物見矢倉と呼ばれていました。北の総門からの人の出入りを見張る“隠密対策”としての機能があり、平安古の総門には児玉家、中の総門には大野毛利家の隅矢倉があります。大野毛利家の隅矢倉は、萩博物館の建物として復元されました。

益田氏は藤原北家の流れで、永久2年(1114)に藤原定通(国兼)が石見の国司として下向、石見国上府(浜田市)の御神本に土着し、御神本国兼と改めました。建久年間(1190~1199)、兼高のときに西石見の益田荘に移り益田氏を称し、大内氏滅亡後は毛利氏に髄属し、引き続き益田を領しました。関ヶ原の役後は、石見境にあたる長門の国須佐に入部。周防・長門2ヵ国に減封された毛利家の藩政の樹立や家臣団の編成に功績が多く、江戸中期の当主・元道は本拠地の須佐に郷校「育英館」を構築し教育振興に功がありました。
関ヶ原に敗れた後、家康より徳川家の家臣になることを勧められるが、元祥はこれを固く断りました。これを聞いた毛利輝元は大いに感激し、永代家老として益田氏を優遇したといわれます。

 

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