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初代司法大臣で日大・国学院の学祖

山田顕義誕生地 (顕義園)

やまだあきよしたんじょうち (けんぎえん)

山田顕義は、弘化元年(1844)に萩藩士山田七兵衛の長男として生まれ、安政5年15歳の時に松下村塾に入門した。吉田松陰にとっては最年少の門下生だったらしい。顕義の功業は、青年時代においてなによりも軍功であった。明治元年に始まった戊辰戦争は五稜郭開城により終わりを告げるが、顕義の戦功が大きい。また、明治政府の根幹を揺るがしかねなかった二つの乱、明治7年江藤進平らの佐賀の乱、明治10年西郷隆盛らの西南戦争の鎮定に尽力し、陸軍中将に進んだ。その後日本の近代化に傾注し、特に明治18年第一次伊藤博文内閣においては司法大臣として法典編纂に貢献し、法典伯と称された。また、教育を重視し、明治22年日本大学の前身である日本法律学校を創設し、次いで翌年國學院を設立、その後公私法律学校を育成した。明治25年旧藩主毛利敬親銅像起工式列席のため帰郷、帰途生野銀山で急逝した。
享年49歳。東京都文京区護国寺に葬られている。

毛利家の菩提寺・護国山東光寺の近くにあり、「顕義園」(ケンギエン)として整備されている。
これは日本大学が建学90周年を記念し、謝恩の為に昭和54年に建設したもので、高さ1.1mの台座に建つ高さ2.4mの「山田顕義先生之像」が印象的で、萩市の遠望も楽しめる。

関連サイト : 日本大学ホームページ

 

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