益田親施を祀る神社 (元号に唯一拘った益田家の家臣たち)
益田家第33代益田親施(ますだちかのぶ)を祀る神社で、慶応元年(1865)に建立され、祭神を高正大明神としています。親施は、毛利家家老として幕末国事に奔走しましたが、元治元年(1864)禁門の変の責任をとり家老の福原越後、国司信濃とともに切腹させられました。親施は32歳で生涯を閉じました。
主君を失った益田家家臣たちは、親施公の非運を嘆き神として祀るためわずかの期間で笠松神社を創建しました。しかし、その時にはすでに元号は「元治」から「慶応」に改元されていましたが、主君の悲憤を思い慶応の年号を認めず、反骨の気概を示した鳥居には「元治三年」と社前の灯篭には「元治四年」と刻銘されています。美祢市にある金麗社に同様のものがありますが、これと共に全国類例のない珍しいものとされています。
(市指定有形文化財:石燈籠・鳥居)
基本情報
電話番号 | 08387-6-2211(萩市須佐総合事務所) |
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住所 | 萩市大字須佐4426-1 |
駐車台数 | 駐車場は須佐歴史民俗資料館をご利用ください |
アクセス | JR須佐駅より車で約2分(須佐歴史民俗資料館より徒歩2分) |