秀でた才能で松陰も一目置いた吉田松陰門下四天王の一人
松下村塾から徒歩約3分の場所にあり、現在は石碑のみ残されている。
吉田稔麿は、天保12(1841)年、萩藩足軽・吉田清内の長男として誕生。通称“栄太郎”、後に“稔麿”と名乗る。8歳の頃、松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門の松下村塾で学び、安政3(1856)年、16歳のとき幽室の吉田松陰に入門。熱心に勉学に励み、松下村塾では高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一とともに松門の四天王に数えられ、松陰にも愛された門下生だった。元治元年(1864)年、池田屋での会合を江戸から使いに来たときに知り、その密議中に新撰組浪士に襲われた。河原町の藩邸へ変事を知らせ、槍を掴んで再度池田屋へ飛び込むも死去。享年24歳。
基本情報
電話番号 | 0838-25-3139 (萩市観光課) |
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住所 | 萩市椿東 |
営業時間 | 見学自由 |
休日 | 見学自由 |
駐車台数 | なし |
アクセス | 萩循環まぁーるバス(東回り)「松陰神社前」バス停より徒歩2分 |