「一楽 二萩 三唐津」と言われ、醸し出される侘びた味が魅力
萩焼の始まりは、1604年、萩藩主 毛利輝元が萩に入府する際に伴ってきた朝鮮の陶工、李勺光と李敬兄弟が窯を開いた時にさかのぼります。茶陶(茶道具)のイメージが強い萩焼ですが、多様な日用品も作られており、近年は芸術性の高い作品も作られ多彩です。
古くから茶人に珍重されてきた萩焼は、やわらかで素朴な風合いがあり、同時に気品と風格も漂います。萩焼の大きな特徴は、焼き上がりの土の柔らかさとその吸水性にあります。登り窯によって、低火度で長時間ゆっくりと焼くため、作品の手取り(感触)がよく、土があまり焼き締まっていないので保湿性を持っています。使用するにつれて比較的短期間に表面の貫入(かんにゅう/表面の細かいヒビ)から茶がしみ込み、器の内外ともに色合いが変化してきます。一つの茶碗を大切に使っていくと、その色、つやが時代とともに微妙に変化して何ともいえない風情をかもし出します。茶人の間では、この変化を珍重して「萩の七化け」と称されます。
萩では町中いたる所で萩焼に出会えます。古くから「一楽 二萩 三唐津」といわれるとおり、優れた茶陶を生み出してきました。窯元は100軒以上あり、芸術品から日用の器までさまざまな作品が制作されています。登り窯や作業工程の見学や制作体験ができる窯元もあるので、実際に絵付けやろくろ体験をしながら萩焼のあたたかさに触れてみてください。抹茶茶碗の他、湯呑、コーヒーカップなどもお土産に人気です。
茶碗の胴や腰をのせている丸い輪の全体を「高台(こうだい)」と言い、高台には、丸い輪をつくって本体につけた「つけ高台」と、本体の土をヘラで削ってつくった「削り高台」があります。さらに高台の輪の一部をかきとったものを切り高台、割り高台といい、萩焼にはこの割り高台が多く用いられ、特色ともなっています。
この切り高台の理由については、いくつかの説があります。毛利藩の御用窯として製品の市販が禁じられていたので、故意に高台を切ってキズ物として市販したとか、高台切りは朝鮮李朝以来の伝統で、当時陶工が製品を市場に運ぶ際に茶碗をたくさん積み重ねて一番下の茶碗の高台の切れ目に縄をかけ、運びやすくしたのが今に残ったものであるなどです。