19世紀なかば、産業革命により富強を遂げた欧米諸国が東アジアへ進出し、日本を取り巻く環境が激変しました。
とくに日本は、嘉永6年(1853)のペリー来航後、開国か攘夷かで大きく混乱していました。
混迷が続く文久3年(1863)5月10日、萩藩(長州藩)は下関海峡を通航する外国船を次々に砲撃し、攘夷を実行します。
しかし一方で、萩藩はその2日後、5人の若い藩士を横浜港から密かに英国へ派遣しました。彼らは国禁を破って命がけで密航し、日本人で初めてロンドン大学に留学を果たしたのです。
5人はそこで欧米の近代文明を積極的に学び、帰国後は、日本の近代化・工業化の舵取りとしてそれぞれの道で顕著な功績を残します。近年彼らの評価が高まり、「長州ファイブ」と称えられるようになりました。
≪長州ファイブ≫
伊藤博文 (1841-1909) |
… | 初代内閣総理大臣(内閣の父) 帰国後、明治の新政府要職を歴任し、1885年に初代内閣総理大臣に就任、その後4度首相をつとめる。 |
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井上 馨 (1835-1915) |
… | 初代外務大臣(外交の父) 帰国後、講和交渉で通訳を務めた後、外務大臣などを歴任。維新外交の始祖となる。 |
山尾庸三 (1837-1917) |
… | 工部卿(工業の父) 帰国後、日本の工業・工学発展の基礎を築き、工部大学校(現在の東京大学工学部)を設立。 |
遠藤謹助 (1836-1893) |
… | 造幣局長(造幣の父) 帰国後、大阪造幣局長として造幣局の整備に尽力。 「桜の通り抜け」の考案者。 |
井上 勝 (1843-1910) |
… | 鉄道庁長官(鉄道の父) 英国で土木や鉱山学を学び、帰国後は鉄道庁長官等を歴任。日本初の鉄道開設に尽力する。 |