明治維新150年|萩市観光協会

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2018年(平成30年)は明治維新150年です。

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明治維新、その胎動の地とは・・・

明治維新、その胎動の地とは・・・
“これぞまさしく長州萩にあり!”と言っても過言ではありません。
吉田松陰先生をお祀りする松陰神社の一角に、明治百年を記念して昭和43年につくられた大きな石碑があります。“明治維新胎動之地”と刻まれており、この題字は、当時の総理大臣佐藤栄作氏の筆によるものです。
全国各所にも明治維新に関連する場所は数多くありますが、その中でも、明治維新の礎はここにあり、という言葉が胎動之地に含んであるような気がします。


萩市内の各所にある、明治維新関連の見どころをたどりながら、歴史に思いを馳せてみませんか?

明治維新、その胎動の地とは・・・

松陰神社境内にある石碑

年表

元号(西暦) 月日 事跡
文久3年
(1863年)
5月10日 〔攘夷決行〕 下関海峡において、アメリカの商船を砲撃する。同月23日にはフランスの通報艦、同月26日にはオランダ軍艦を砲撃する。
5月12日 〔長州ファイブ密航留学〕 志道聞多(井上馨)・山尾庸三・野村弥吉(井上勝)・伊藤俊輔(博文)・遠藤謹助は英国に密航留学する。
6月7日 〔奇兵隊結成〕 高杉晋作が奇兵隊を結成し、初代総督となる。
8月18日 〔八月十八日の政変〕 会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派がクーデターを起こし、長州藩は京都堺町御門警護の任を解かれ、三条実美ら七卿も罷免されて長州に走る。世にこれを七卿落ちという。
9月1日 〔女台場完成〕 6月9日に菊ヶ浜に土塁の築造を命ずる。6月25日に着工し、9月1日にほぼ完成する。女台場(おなごだいば)という。
元治元年
(1864年)
6月5日 〔池田屋の変〕 京都池田屋の変で吉田稔麿(24歳)が死去する。
7月19日 〔禁門の変〕 禁門の変(蛤御門の変)が起こり、長州軍は敗れる。久坂玄瑞(25歳)、入江九一(28歳)などが戦死・自刃する。6月5日に京都池田屋の変で吉田稔麿(24歳)が闘死し、この年、松下村塾「四天王」のうち3人が死去する。
8月2日 〔第1次長州征伐〕 7月23日に長州藩追討の勅命が下り、幕府は長州藩征伐を諸侯に命令する。
8月5日 〔下関戦争〕 英・米・仏・蘭の四カ国連合艦隊が下関を砲撃し、長州藩兵はこれに対して3日間にわたり応戦する。
12月15日 〔晋作挙兵〕 高杉晋作が下関(赤間ヶ関)で挙兵する。
元治2年
慶応元年
(1865年)
※4月改元
1月6日 〔大田・絵堂の戦い〕前年に高杉晋作が下関で挙兵し、諸隊は美祢郡(現美祢市)に進軍。1月6日夜半、美祢郡中央に位置する大田や絵堂を戦場にわずか10日間で藩政府軍を打ち破った。元治の内訌ともよばれる。
3月23日 〔藩論統一〕 萩藩主毛利敬親は、幕府に対しては恭順を旨とするが、藩内においては富国強兵・武備の充実に努めるという、武備恭順の方針に藩論を統一する。
4月12日 〔第2次長州征伐〕 幕府は長州征伐を再度命ずる。
慶応2年
(1866年)
1月21日 〔薩長同盟〕 木戸孝允は西郷隆盛らと会議して長州藩と薩摩藩の政治的・軍事的同盟の締結を行う。
6月7日 〔四境戦争〕 2月12日幕府軍は四境を包囲しようとする。毛利敬親は、諸臣に抗幕戦の準備を命ずる。6月7日幕府軍が進撃し大島口で戦いの口火が切られ、四境戦争が始まる。
慶応3年
(1867年)
4月14日 〔高杉晋作没〕 高杉晋作(29歳)が馬関で病死する。
12月9日 〔王政復古〕 江戸幕府を廃絶し、摂政・関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立を宣言する。
明治元年
(1868年)
1月2日 〔戊辰戦争〕 長州藩・薩摩藩を中核とした新政府軍と旧幕府軍の戦い。1月2日の鳥羽・伏見の戦いから始まり、明治2年5月18日函館戦争において旧幕府軍が降伏し終結する。
3月14日 〔五箇条の御誓文〕 明治天皇が示した明治政府の基本方針「五箇条の御誓文」が発布される。
10月23日 〔明治維新〕 明治天皇即位。改元の詔書が出される。

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