松陰が江戸へ護送される途中、そのときの感懐を漢詩に詠んだ
江戸幕府により東送を命ぜられた先生は、安政6年(1859)5月25日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地で、しばしの休息をとられた。そのときの感懐を、先生はこの漢詩(七言絶句)に託されたのであった。その意は、「私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしとと降り、ほととぎすがしきりに鳴いている。ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言うが、その血で、このあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。」と。わが国の現状を憂い、行く末を案ずる先生の心情がよくあらわされている。先生時に満28歳。
(現地案内板「吉田松陰先生と夏木原」より)
吾(われ)を縛(ばく)し、台命(だいめい)もて関東に致(おく)る、
簿(ぼ)に対し心に期す 昊穹(こうきゅう)に質(ただ)すを。
夏木原頭(なつきげんとう) 天雨黒(くら)く、
満山(まんざん)の杜宇(とう) 血痕(けっこん)紅(くれない)なり。
吉田松陰について(萩の偉人たち)
基本情報
電話番号 | 0838-55-0213 (萩市旭総合事務所) |
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住所 | 萩市佐々並(萩往還夏木原交流施設入口付近) |