
維新の先覚者と呼ばれる吉田松陰。この地に生まれ、私塾・松下村塾を主宰し、高杉晋作や伊藤博文など幕末から明治にかけて活躍した多くの逸材を育てました。ここ旧松本村はまさに「明治維新胎動の地」といえます。
また、平成27年(2015)の大河ドラマ「花燃ゆ」で主人公となった吉田松陰の妹・文(ふみ)ゆかりの地も点在しています。
※下記コース内の時間表示は移動にかかる時間のみを表記しています。施設の観覧時間、ガイドによる案内の時間は含まれておりません。
このコースで訪れるスポット
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- 松陰神社駐車場を利用
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松陰神社
維新の先覚者 吉田松陰を祀る神社
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
境内には、松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅など、松陰ゆかりの史跡などが点在しています。また、松陰の遺墨等を展示する宝物殿「至誠館」や、松陰の生涯をろう人形で再現する「吉田松陰歴史館」などがあり、松陰先生の「志」に触れることができます。- 徒歩すぐ
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松下村塾〔世界遺産〕
【2015年世界遺産登録!】多くの幕末の志士を輩出した私塾
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。ここでは身分の区別なく学ぶことができ、わずか1年余りという間でしたが、高杉晋作や伊藤博文など、明治維新の原動力となり、明治新政府で活躍した多くの逸材を輩出しました。木造瓦葺きの平屋建てで、国の史跡に指定されています。
講義室だった8畳の部屋には松陰先生の石膏像と机が置いてあります。ここで机を囲んで若者たちが熱い議論を交わしていました。- 徒歩すぐ
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吉田松陰幽囚ノ旧宅〔世界遺産〕
松陰が謹慎生活を送った実家 杉家
吉田松陰が、安政元年(1854)に伊豆下田で海外渡航に失敗し、江戸・伝馬町獄から萩・野山獄へ投獄された後に預けられた実家・杉家旧宅。松陰はここで謹慎生活を送り、読書と著述に専念しました。杉家の一角にある幽囚室で孟子などを講じるようになり、やがて松下村塾で教えるようになりました。
旧宅の一角には「台柄(だいがら)」(=米搗き台)があります。松陰はこの台上で米を搗きながら、読書をし勉強したそうです。- 徒歩5分
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伊藤博文旧宅・別邸
初代内閣総理大臣 伊藤博文が過ごした旧宅と、東京から一部を移築した別邸
【伊藤博文旧宅】
松陰の門下生であり、初代内閣総理大臣となった伊藤博文の旧宅。旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家(外観のみ見学可)で、そばには萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。
*外観のみの見学となります
【伊藤博文別邸】
旧宅に隣接する別邸は、東京に建てた広大な別邸の一部を移築したものです。明治時代の宮大工の手によって建設されたもので、邸内は意匠に優れ、樹齢約1000年の吉野杉を使った大広間廊下の鏡天井や離れ座敷の節天井は必見です!
*施設ガイドが常駐しています- 徒歩10分
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玉木文之進旧宅
「松下村塾」発祥の地!松陰の叔父・玉木文之進の旧宅
松下村塾の創立者であり、吉田松陰の叔父である玉木文之進の旧宅。天保13年(1842)ここで近くの子どもを集めて塾を開き、松下村塾と名付けました。この塾の名は、久保五郎左衛門を経て吉田松陰が継承し、後世にまで知られるようになりました。
旧宅前には「松下村塾発祥之所」と刻んだ石碑が立っています。
*施設ガイドが常駐しています- 徒歩約10分(急坂あり)
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吉田松陰誕生地
市街地を一望できる高台にある、吉田松陰が生まれ育った場所
「団子岩」とよばれる高台にあり、松陰と文はこの地で生まれました。現在は、大正時代に設置した間取りを示す敷石が残っています。誕生地そばには吉田松陰・金子重輔の銅像があり、海外密航を企てた松陰先生と金子重之助(重輔)が下田海岸でペリー艦隊を望見する姿の像となっています。
誕生地は、市街地が一望できるビュースポット。遠くに指月山と萩の城下を見渡すことができます。春には美しい桜並木が楽しめます。- 徒歩すぐ
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吉田松陰の墓および墓所
吉田松陰とその一族、高杉晋作など門下生の墓所
松陰の没後、百ヶ日忌に遺髪を埋葬して建てられました。この墓所には、杉百合之助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門下生の高杉晋作、吉田稔麿などの墓が立ち並んでいます。
墓前の水盤や花立は、久坂玄瑞、伊藤博文、高杉晋作ら門人や妹たちが名前入りで寄進したもの。当時、松陰は幕府から第一級の大罪人とされており、その松陰へ対し名前を刻んでの寄進は当時としては勇気のいる行動でした。それだけ松陰が門人たちから慕われていたということが伺えます。- 徒歩5分
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東光寺
萩藩主・毛利家の菩提寺。500基あまりの石灯籠が整然と並ぶ墓所は圧巻!
毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。萩藩初代と3代~11代までの奇数代藩主夫妻が葬られています。重要文化財の総門、大雄宝殿(だいおうほうでん)、鐘楼など、中国風の雄大な建築も見ごたえ満点です。
墓所には約500基の石灯籠が整然と並び、木立に囲まれ荘厳な雰囲気がただよいます。
毎年8月15日には「萩・万灯会(まんとうえ)」が行われ、石灯籠にろうそくの火が灯ります。- 松陰神社駐車場へ徒歩約15分
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GOAL
世界遺産「明治日本の産業革命遺産」
松下村塾と吉田松陰幽囚ノ旧宅は、2015年「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして、世界文化遺産に登録されました。
【松下村塾での教育】
第一に、人生において最も基本となる大切なことは「志」を立てることである。そのためには、まず私利私欲を除いた心で、一体自分がこの世で何ができるか、何をすべきか真剣に考えなさい、と松陰は説きました。
また、講義においては、ただその意味や解釈にとらわれるのではなく、必ず世の中で起きている実際の問題と関連づけて、皆と議論するような形を採りました。
当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられました。松陰は、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」と『松下村塾記』に記し、村名を冠した塾名に誇りと責任を感じ、志ある人材を育てようとしました。
幕末、激動の時代を切り拓いた熱き“志”の指導者 吉田松陰
松陰神社/松下村塾