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天保の改革でその手腕を発揮 長州藩が活躍する財政的基盤を築く

村田清風別宅跡

むらたせいふうべったくあと

村田清風は、藩政改革を行い明治維新に長州藩が活躍する財政的基盤を築いた人物です。藩政にたずさわった約25年間を、この地で過ごしたといわれています。現在は長屋門だけが残り、母屋跡に顕彰碑が建っています。
清風は、天明3(1783)年、大津郡三隅村沢江(三隅町)に萩藩士村田光賢の長男として誕生。幼少時には同郷の八谷塾、周田塾に学び15歳のとき明倫館に入り文武を修めました。藩主・毛利斉房の小姓役を命じられ、以来13代・毛利敬親まで5代の藩主に仕え藩政の中枢に参画しました。天保の改革でその手腕を発揮し、藩の殖産「米・蝋・塩・紙」は清風の幼名四郎左衛門”から長州のシロベエ”とも呼ばれました。弘化2年(1845)63歳のとき三隅に隠居。人材育成に力を注ぎ、吉田松陰をはじめ多くの人々が清風の教えを乞うために三隅の山荘を訪れました。また隠居後も度々藩主に請われ登城したことから、信任が厚かったことが伺えます。安政2(1855)年、73歳のとき平安古別宅で逝去。

 

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